カズ 日本人最年長ゴール!

http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2007/05/13/01.html
Jリーグでの最年長ゴールはジーコか。ぜひカズには抜いていただきたいし、抜けると思う。

「いいところにボールがこぼれてきたので打とうと思った。感触が良かったので、あ、入ったと思った。最年長ゴール?ゴンちゃん(磐田FW中山)も言っているけど、長くやっているだけ。そんな重要なことじゃないよ」

いや、その長くやれることが本当にスゴイことだから。サラリと言えることじゃないっス。日本人最年長ゴールを祝してカズコピペでもペタペタと貼る。俺カズコピペ好きなんだよ。

キングカズは神だと思っている。 7年ほど前の正月休みに両親と静岡市のカズ実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなりキングカズが 玄関から入ってきた。
もんじゃ焼き屋に似合わないイタリアンないでたちで。
カズが 「俺いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、 店内にいた高校生集団が「カズさん!」「カズさんかっけー!」などと騒ぎ出し、カズが戻って きてくれて即席サイン会になった。 店内に13,4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使いサインをしてくれた。 高校生達が カズの母校静岡学園のサッカー部だとわかったカズは いい笑顔で会話を交わしていた。

そしてカズは「またな〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。私と両親はカズの気さくさとかっこよさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向 かうと、店員さん(カズ妹)が 階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。あれには本当にびっくりした。

有名なもんじゃ焼きコピペ。カズさんかっけー!

 去年の暮れぐらいなんだけど、郊外で車故障して、立ち往生してたんだよ。 俺、全然車とか詳しくないんで、ボンネット開けて中見ててもなにが悪いのかさっぱり意味不明 。 で、あたりも暗くなってきてたし車通りも全然ないところでヤベー、とか思ってたら 俺の車 の後ろに一台の車が停車した。
 その車から降りてきた男を見て、俺は息を飲んだ。 それは見間違うはずも無い、日本代表の、あのカズ選手だった。「なぜこんな田舎にベージュのスーツで!?」と思うまもなく、カズは 「どうしたの〜?」ときさくに俺に声をかけつつ上着を脱ぐと、ボンネットをのぞきこみ、そして、いろいろエンジンのまわりをごそごそやりだした。 高そうな白いシャツの袖が、どんどん汚れていく・・・
 結果、俺の車は見事エンジンスタ ートに成功。カズは「車は普段から可愛がってやらないと、すぐ壊れるよ。じゃあな!」 と言うと、颯爽と自 分の車に乗り込み去っていった。

 そしてついに今日、カズが日本代表から外れた。それでも俺は一生、あの日のカズを忘れない。

カズが、読売ヴェルディ時代に、甥っ子連れてサッカー場行った時の事。

カズは当時、絶大な人気だった(その試合では2得点ゴール)。 あれだけ人気なんだからきっと天狗になって調子こんだヤローなんだろうな。と思っていた。 試合が終わり、甥っ子が、どうしてもカズのサイン欲しいと、言うこと聞かず、 近くに居たヴェルディファンに「どうしたらもらえますか?」と聞いたらチームバスで来ていたら、 それに乗り込む時にもらえるかもしれませんよと教えてもらい、そこに連れて行ってもらった。

するとカズが現れた。前の方にいた甥っ子と自分は、周りの黄色い声に、圧倒されてたじろいでいた。 そして甥っ子は、怖くなって色紙とサインペンを持ちながら泣いていた。

そしてカズが、前を通り過ぎようとしていた。 勇気を振り絞って甥っ子が、色紙とサインペンを一生懸命差し出すも、 近くに居た、 ギャルっぽい女の子が甥っ子を押しのけて、サインをもらおうとしたその時、

「小さい子供いるのが見えないのか?」

と女の子に言い放ち自分の甥っ子の頭をなでて、 満面の笑顔で「大きいサインあげるから泣かないで」と、色紙いっぱいにサインしてくれた。

そしてさっきの女の子がサインもらおうと、カズに差し出すも、 カズは無視。 バスに乗り込んでいったまさにKINGこそ漢。私は、それ以来熱狂的なカズ崇拝者です。

その後甥っ子は中学生になり、サッカー部に入部 。背番号11FWとして、活躍している。

 ブラジルのサッカー選手を夢見る孤児たちを育てる 団体に、カズがサッカーボールを送ったことがあった。それも、200個ものボールを。 子供たちは、とても喜んだ。
 しばらくして、やはりJリーグが 同団体にボールを寄付することになった。エージェントが現地へ赴き、少年たちにボールを渡す。 少年たちはやはり喜んだが、渡されたスポルディングのボールを見て「スポルディングではなくて、メーカーは『カズ』が良かった。」「『カズ』のボール はとても使いやすかった」 と口々に言う。

 Jリーグのエージェントは首をひねった。カズ?そんなメーカーがあっただろうか。

「これだ」と、手渡されたボロボロのボールを見てエージェントは驚いた。すでにかすれてしまっているものの、ボールにははっきりとサインペンで 「夢をあきらめるな  カズ」と、現地の言葉で記した跡があった。 200個ものボール全てにカズは自筆のメッセージとサインを入れ、それを子供たちは「カズ」というメーカーのボールであると思い込んでいたのだ。

カズがVERDYにいた頃、読売ランドへ練習を観にいった。
その日は雨だった事もあり人が少なく、わくわくしながら待っていた。
ラモス、武田、ビスマルクらがそうそうと練習を引き上げていく中、
カズだけはFKを何度も何度も蹴って、なかなかこっちに来ない。
びしょ濡れになり、少しブルーになりながらも待つこと数十分・・・・。
カズが来た。
足早やに駆けてくるカズにサインをお願いした・・・・が、すでにサイン色紙は濡れて、
マジックで書けそうもない。そんなときカズは言った。

「せっかく待ってくれてたんだもんな、ホラ、これに書くよ」
そういうと自らが着ていたユニフォームを脱ぐとサラサラサラ・・・そしてそこにサインをすると、私にくれた。

少しにじんでいるKAZUの四文字をみると今でも彼の笑顔を思い出す。

昔弟とファンレター書いたとき
弟には「夢諦めずにサッカー選手になれ」って返事がきた
ああみんな同じようなこと書いてんだろな、って思ったら
俺のには「好きな子にアタックしろよ、ウジウジしても何も始まらないぞ」って書いてあった

ちゃんとファンレター読んでくれてたんだって嬉しかった

Jリーグが始まった年だから、もう何年前になるんだろう。
名古屋の栄の焼き肉屋へ家族で行ったときのこと。
座敷席にカズさんと北沢選手と、数人の女の子がいた。
多分遠征中だったのだろう。

当時高校生の俺の小学校三年の弟はサッカーをやっていた。
せっかくだからと、尻込みする弟をカズさんの前へ連れて行き、
「お楽しみのところすいませんが」
弟がサッカーやっているんで、何か言葉をいただけると励みになるんですが。
と厚かましく、言った。
カズさんは、

「お、サッカー少年か」

と楽しそうに言いながら、座敷席の奥からわざわざ立ってこちらへ来てしゃがみ込み、
弟と目線を同じ高さにした。

「サッカー少年は勉強がよくできるか?」

と、いきなりキングは弟に聞いた。
弟の成績はそれなりによい。弟はうん、と答えた。
するとキングは

「頭のいいやつは、トップ下MFがあってる」

と、カリオカ、ラモスの名前を挙げた。
さらに何かを言おうとするキングに、連れの女の子が、ねえまだーと露骨にいやそうな顔をした。
カズは、振り返って一言言った。
表情は向こう向きだったから、わからなかったが、多分厳しい顔をしていたのだろう。

「うるさい。俺たちは今サッカーの話をしているんだ」

俺が小学生の頃、どうしても武田のサインが欲しくて、等々力競技場で色紙とマジックを持って、選手の出待ちをしていた。武田が出てきて俺は「武田選手サインおねがいします」と叫んだがササッと車に乗ってしまった。

がっくりしてると、カズが俺に「僕のサインでもいいかな?」とニッコリしながら声をかけてくれた。俺はびっくりしたが「もちろんです、お願いします!」と言うとスラスラとサインをしてくれた。その後「これからも武田選手とヴェルディの応援よろしくね」と声をかけてくれた。

あのカズの笑顔は、今でも忘れられない。

よい子のためのフラッシュで学ぶキングカズの半生

第一話
http://www.geocities.jp/nagoya_flash/8.htm

第二話
http://www.geocities.jp/nagoya_flash/9.htm

第三話
http://www.geocities.jp/nagoya_flash/10.htm

日本代表MF中村俊輔が、横浜の実家に大事に保管している1枚の写真がある。

98年2月。当時、19歳だった中村は初めて日本代表の合宿(オーストラリア)に招集された。
日本が初めてW杯出場を決め、フランスに向けての選考合宿だった。
同じユニホームを着て練習しても、互いがライバル同士。
もし中村が生き残れば、予選を勝ち抜いた誰かが、選考から漏れることになる。
「食事会場でもみんな黙々とご飯を食べるだけで、静かで異様な雰囲気だった。
みんなピリピリしていて練習の合間にも冗談を言う人はいない。代表って怖いところだなと思った」。
慣れない環境にストレスはたまる一方だった。「みんなW杯出場に向けて必死なんだ」と自分に言い聞かせて納得するしかなかった。
サバイバル合宿中に救いの手を差し伸べた人がいた。

「緊張するなと言っても無理だろうけど、緊張しなくていいんだよ。自分の持っているものを普通に出せばいいからね」。

カズこと三浦知良だった。 時間にして5分程度。
ほかにも豊富な経験をもとに、いろんなアドバイスを受けたが、緊張のあまり全く耳に入らなかった。

「懐が深いというか、やはりキングだったね。今でもあの場面は鮮明に覚えているよ」。

後日、その光景を撮ったカメラマンから写真をプレゼントされた。
練習終了後、汚れた練習着を着たまま、グラウンドに座って一生懸命カズの話を聞いている自分がいる。

「元気がない時、スランプの時、ケガした時は実家に戻ってその写真を見て元気をもらっている。いつ見ても新鮮だね」。

スコットランドリーグでMVPを獲得し、日本代表の不動の司令塔の座に上り詰めようとする今も、その写真があるから初心に戻れる。
疲れた時は力を与えてくれるような気がする。
http://www.nikkansports.com/ns/general/ns_column/ns_column-041024.html