ツッコミ
http://d.hatena.ne.jp/Bang-cho/20031119にたいしてid:hhosonoからつっこみメールが来ましたよ。面白かったので日記に貼り付けます。(本人の掲載許可は頂いていますよ。)
「もちろん製作者側の用意した物語も少しは存在するのですが、どちらかと言えば大塚英志さんが「システム(=大きな物語*1)そのものを売るわけにはいかないので」と書いているらしいですが、そのシステムそのものに近い物を売っているように思われます。」
「解りやすい例だと現在ガンダムのMMORPG「UniversalCentury」が開発されていますが、そこで生み出されるキャラクターの小さな物語はまさにシミュラークルそのものなのじゃ無いでしょうか。」
- シミュラークルとは、オリジナルなきコピー、起源なきコピーのこと。「萌え要素≒シミュラークル≠小さな物語」については『動物〜』の73〜75ページ参照。
- UCはガンダムという起源を持っているので厳密にはシミュラークルとはいえない(小さな物語はシミュラークルでもデータベースでもない)。しかし、UCや、より判り易くいえばガンダム種は、限り無く大きな非物語に近づいた小さな物語なのかもしれない。
- ちなみに「シミュラークル≒萌えキャラ≒萌え要素」で「データベース=大きな非物語」なので、両者の混同に注意。
「しかしそのアイテムにまつわるであろう物語に思いをはせる人は何人いるのでしょうか。」
- その獲得過程自体が物語化しているのでは? ただし、かなり陳腐な物語だが、そこはライブパミンでカバー。
「例えばエクスカリバーという剣があったりしますが、それはアーサー王の剣というよりも只の性能が良くてなかなか出ない剣として見られているような気がします。何より製作者側がただ名前を借りただけなのでしょう。それはまさに非物語であり、エクスカリバーや村正、グングニルを同様に飲み込んでいるデータベースが大きな非物語という事には納得したりもしました。」
- 天才萌えと同様、すごいアイテム萌え。
「モンスターを切りつけるうさ耳女戦士。その違和感が当たり前に存在する世界で鍛えられれば、より無駄をはぶき脳に直結して「萌え」になたと考えれば納得しやすいです。そして萌えはまたデータベースに取り込まれ無限ループになると。」
- その違和感を超える快楽こそが萌えで、そうした快楽はギャルゲー以前にも存在していた。例えばビキニアーマーの女戦士はアメコミなどを端緒としながら、80年代の日本ではかなり流行っていた。しかし、その段階はまだキャラクターの全体性が崩壊していなかったので、厳密には「萌え」とは云い難い。ただし、この過程が90年代後半の萌えを用意したのは間違いない。
「そこに儀式的手続き、ようは手に入れるまでの物語を付け加えて楽しみを得る。これがスノビズム(シニシズム)なのでしょうか。」
「ただ欲しいという欲求だけで手に入れる、これが動物化なのでしょうか。そう考えると自分的にはすごい解りやすいのですが、何か薄ら寒い物を感じます。」
「それはMMORPGは絶対に他者を必要とするのです。たしかに他者を他者と見ない、例えばFFXIで良く「勇者様」と揶揄されている人は存在し、チート等の不正は後を絶たないです。しかし前提に他者を必要とするMMORPGを遊んでいるのです。」
- コンピュータゲームの他のメディアに対する絶対的な優位性として、インタラクティビティによるリアリティがある。「世界が存在する確かさ」を感じるためのインタラクティブな「他者」は今まで人間にしか創りだせなかったが、今後はコンピュータでも作りだせるのかもしれない。そして、人間はスクリーン上の「 キタ━━━━(゜∀゜)━━━━ッ!!」にすらリアリティを感じられるほど、動物化しているのかもしれない。
「前述の例はむしろ「動物化」というより「お子様化」とでも言うべきものなのかもしれません。」
- 動物化する過程である現状を「子供化」ととらえるのはいいかも。
なるほどねー。拡大解釈しすぎたかと反省。補足的な部分もあるので面白かったです。「他者」についての解釈の違いは俺がもう少し色々な本を読まないといけないのだろうな。まぁでもMMORPGって面白いモデルでしょ?みんなMMORPG(というかTFLO)やろうぜw。