読書感想文(本文)

MMORPGとは平たく言うと製作者側が用意した箱庭世界の中で多人数(1000人単位)のプレイヤーがキャラクターを操作して遊ぶといった物です。一種のヴァーチャルリアリティみたいな物です。普通のRPGと大きく違うのは、画面に写る多くのキャラクターは他人が操作しているという事と物語が存在しない(やる事が決まっていない)事です。もちろん製作者側の用意した物語も少しは存在するのですが、どちらかと言えば大塚英志さんが「システム(=大きな物語*1)そのものを売るわけにはいかないので」と書いているらしいですが、そのシステムそのものに近い物を売っているように思われます。
しかし物語が無いとなるとどう遊べばいいのでしょうか。それはアントニオ猪木の言葉を借りると「この道を行けばどうなるものか。危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。踏み出せばその一足が道となりその一足が道となる。迷わず行けよ、行けばわかるさ。」と言うことです。ぶっちゃけあなた自身の物語を作りなさいって事です。これは大塚英志が言うところの「<大きな物語>=プログラム全体を手に入れれば、彼らは自らの手で<小さな物語>を自由に作り出せることになる。」 って事をすごく単純に表したことなのではと思うのです。解りやすい例だと現在ガンダムMMORPGUniversalCentury」が開発されていますが、そこで生み出されるキャラクターの小さな物語はまさにシミュラークルそのものなのじゃ無いでしょうか。そしてそのシミュラークルの奥に見えるのは大きな物語ではなく、文字通りのデータベースなのではと思うのです。例をあげると「UniversalCentury」ではガンダムの物語は解体されて文字通りデータになってデータベースに収納されています。
MMORPGでの代表的な楽しみ方にレアアイテム集めがあります。性能が良かったりするものにはゲーム的に出現率は抑えられ必然的にレアリティの高い物になります。そのレア物を長時間かけて探しまわり、出た出ないで一喜一憂したりします。しかしそのアイテムにまつわるであろう物語に思いをはせる人は何人いるのでしょうか。レア物には大抵仰々しい名前がつけられています。例えばエクスカリバーという剣があったりしますが、それはアーサー王の剣というよりも只の性能が良くてなかなか出ない剣として見られているような気がします。何より製作者側がただ名前を借りただけなのでしょう。それはまさに非物語であり、エクスカリバーや村正、グングニルを同様に飲み込んでいるデータベースが大きな非物語という事には納得したりもしました。
しかしその非物語であるところのレアアイテムを長時間かけて探しまわるのです。性能が良いのでゲーム的に欲しいのかと思われていましたが、ここ最近は性能は悪くても外見的に目立つ物可愛い物が欲しいというのを良く聞きます。韓国製MMORPGの「ラグナロクオンライン」では猫耳、うさ耳のアイテムがあるほどです。モンスターを切りつけるうさ耳女戦士。その違和感が当たり前に存在する世界で鍛えられれば、より無駄をはぶき脳に直結して「萌え」になったと考えれば納得しやすいです。そして萌えはまたデータベースに取り込まれ無限ループになると。
しかしその無意味なレアアイテムも物語にはなります。レアアイテムを手に入れるまでの苦労話などは良く聞く話です。突き詰めて言ってしまえばただの電子データに過ぎないレアアイテムですが、そこに儀式的手続き、ようは手に入れるまでの物語を付け加えて楽しみを得る。これがスノビズムシニシズム)なのでしょうか。しかし一方で不正なプログラムでデータ改竄を行うチートやリアルマネートレードRMT)と呼ばれる現金でのレアアイテムの取引、BOTと言われる外部ツールによって自動的にキャラクターを動かしてアイテムや経験値を得る事が横行しています。MMORPGではありませんが、DCのPSOはチート品が横行してゲーム性が失われた程です。ただ欲しいという欲求だけで手に入れる、これが動物化なのでしょうか。そう考えると自分的にはすごい解りやすいのですが、何か薄ら寒い物を感じます。
「ドラマ」への欲求はMMORPGの中にも見られます。2ちゃんねるで見られる「ちょっといい話」スレやそれを元にしたFLASHが多数存在しています。そして名作と呼ばれるFLASHが出てきています。例えばココの「そろそろファンタシースターオンラインの昔話をはじめようか」 通称「ありがとうFLASH」とそこから派生した数々のFLASH、そしてココのA DOGなどです。これらのものはいささか創作的なものですが、ゲーム内でのこれらの事に共感する事があったからこそ名作と呼ばれているのだと思います。(追記:ココの再会というFLASHが一番適当な例だと後から思い出してみたり。)
ここまでMMORPGという局地的な側面から感想を書いてきましたが、ここで問題が発生しました。それはMMORPGは絶対に他者を必要とするのです。たしかに他者を他者と見ない、例えばFFXIで良く「勇者様」と揶揄されている人は存在し、チート等の不正は後を絶たないです。しかし前提に他者を必要とするMMORPGを遊んでいるのです。前述の例はむしろ「動物化」というより「お子様化」とでも言うべきものなのかもしれません。何故なら前述の例の行動原理は多分に人間的な「他人の欲望を欲望」だと思うからです。そしてMMORPGを遊んでいる人たちは皆多かれ少なかれ「他人の欲望を欲望」しているのだと思います。他者を必要としないゲームはいくらでもあります。しかしMMORPGを選んでやっているのです。つい先日FFXIの全世界での加入者が40万人を超えたという記事を読みました。これが多いのか少ないのかわかりません。他者といっても都合の良い他者しか求めず、近代的な社交性とは変質してしまったかもしれませんが、しかしそれでも部分的ポストモダンから全面的ポストモダンへの大きな流れに対する抵抗、動物化に対する抵抗があると考えたいです。データベース的な虚構世界とはいえ煩わしい人間関係をあえて求めており、しかも面白がれる「データベース的人間」がいてもいいじゃないかと思いつつ、「動物化するポストモダン」は警告文だと受け取ったのでした。

*1:世界観や設定